villa aida ヴィラ アイーダ 晩春の緑の宝石

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ベルベーヌと豆

やっと来れた、この季節のアイーダに。

涙豆。
この季節だけ、一年でもこの前後10日しか食べられない、緑の宝石だ。
「豆」というよりは「涙」に近く、水を口にしている感覚に近い。

涙豆とは、スペイン・バスク地方でこの季節だけ食べられているエンドウの若豆の呼び名で、豆の粒が涙の形をしているところからいう。
Aidaで涙豆として使っているといういつものうすいえんどうは、今年はもう終わってしまったとのことで(今年の季節は早めだ)、今回はスナップエンドウの若豆だった。
豆の粉っぽさがまだ出ないうちの瑞々しさを味わう。

小林寛司さんの料理をいただくのは、1年半ぶりくらいだ。
昨年1月の静岡・富士宮で行われたRestaurant bio-sでのコラボ以来で、そのときの小林さんは北欧旅行から戻ったばかり、料理は「オマージュ・モダンノルディック」だった。
今回は久しぶりの「ホーム」。

「ずいぶん料理は変わってます。以前から」

確かに。以前とアプローチがずいぶん違っている気がする。
なんだろう。

この最初のインパクト十分な「ベルベーヌと豆」。
クリームは少し甘さが感じられる程度の淡い味で、ジュレがもうひとつの香りの元なのか、ベルベーヌのわずかな香り。そして塩の粒感とともにほんのわずかな塩味が感じられる。
甘み、塩味、ミルク分のコクがそれぞれ同量のバランスで、舌に載せられる。

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(参考;水牛のモッツァレラとレモンコンフィ 2011年7月訪問時)

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レタス 若そら豆 コリアンダー 真烏賊
フィンガーフード。触感と食感が意外で驚く。
形はあるがなよなよとしている。外側はレタスの芯に近い部分だった。
烏賊とそら豆とレタスのなかで、最も固いのがレタス。その次に柔らかいのがイカで、最も柔らかくて冷たいのがそら豆。そら豆はダイス状のシャーベットだ。芯のいちばん甘い部分のレタスと烏賊そのもののうまみ。ニンニククリームが微量。塩分はこれまた、ぎりぎりの淡さだ。
食感と温感と味の繊細さに驚いているあいだに、口の中からすうっと消えてしまう。
蜃気楼みたいだ。

この感覚、なんだろうな、と思いながら食べ続ける。
いつもレストランで食事をしているのと何か違う、不思議な感覚だ。
それがなんなのか、この時点ではまだ、わからなかった。

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そら豆 ズッキーニ サマーセイボリー みょうが 海老

そら豆はとても小さい。豆の甘みを強く感じる。
小林さんの畑では、一般的なサイズより小さい10cmくらいのサヤを収穫し、小指の爪ほどの大きさの豆を使うのだそうだ。このサイズだと粉っぽさや豆くささがないのだという。

甘酸っぱい泡はビーツ。ココナツオイルと海老がぴったりと合っている。
サマーセイボリーの尖った香り。仕上げにガラムマサラがかかっているらしい。
あとできくと、ココナツオイルに海老は、小林さんのよく使う組み合わせなのだそうだ。
東南アジアのイメージなのか。

どの素材の味もひとつひとつわかって、かつ、まとまると、ちゃんとひとつの料理になっている。

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葉玉ねぎ リコッタ レモンバジル

小林さんの料理はどれもそうだけど、素材の形がちゃんとあるにもかかわらず、食べる前に味がまったくわからない。
どれも自分がはじめて食べる組み合わせだからだろう。

この料理のポイントは「塩すっぱさ」。
葉玉ねぎにレモンオイル、リコッタのコク。
写真の右端、ナスタチュームが茎まで長く切られて載っている。多く料理の飾りとして載せられるナスタチュームが、こんなに香り高いハーブの役割を果たしているのは初めてだ。
茎がみずみずしい。水菜の茎みたいだ。
ナスタチュームだけをもっと食べたいと、初めて思った。

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新ごぼう 独活 春菊 牡蠣

ぬるくて冷たい料理。
牡蠣は冷たい。温かいのはソース。熱い、ではなく、人肌程度だ。
そこに新ごぼうと独活と酸味。
春菊のピクルスの苦味がきいていて、「画竜点睛」ということばがぴったりの味だ。
龍の絵に眼を書き入れたら天にのぼっていったという、あの故事。
ピクルスの酸味と苦味が最後にあって完成しているんだな、と思う。

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猪豚 あか玉

この不思議な感覚が何なのか、メインの猪豚を食べているときに突然わかった。

満腹になっていくにつれて、なぜか、どんどん身体が覚醒していく感じがするのだ。

覚醒と浮遊感

ふつうは、食べ進むにつれて、満腹感やお酒のせいで、感覚がゆるやかに酩酊してくるのがふつうだ。
けれど、小林さんの料理だと、そうならない。
自分の身体が、食材の一つひとつを意識して、因数分解するように取り入れていき、目覚めていくような感じがする。

そして同時に感じるのが、浮遊感。
これは素材からもたらされている。
ずっしりくる食材がない。
量が少ないのではない。軽やかなのだ。

覚醒する理由のひとつはたぶん、ハーブの使い方。
ハーブの刺激ではなく、鮮烈な香り。
それを身体が受け止めて、目覚めていくような感じなのだ。
それが食べ終わってから感じる、浮遊感のようなものにもつながっている。
今日は春の若い食材が多くて、なおさらそう感じるのかもしれない。

サマーセイボリーを、食後に小林さんが見せてくれた。
口に含むと、鮮烈な香り。こんなに強い香りがするものなのか。
香草は、料理にキレと苦みを足す。
メインの猪豚も、肉の上に春菊のピクルスがあり、肉に酸味と苦みをピンポイントで足していた。
季節のものを身体の中に取り入れている感じが、よりダイレクトに感じられる。

香りが強く、味が鋭い。
畑から採ってきたばかりなのを想像させる新鮮さだ。
野菜づくりはまず種をまくところから始まるという、農園兼レストランのAidaならではだと感じる。

Aidaは、農園とレストランの兼業で、ほとんどの野菜を自家農園のものでまかなっているという。
葉物、根菜、ハーブ。
新鮮さが命の食材は、生産地とレストランが近ければ近いほど有利だ。
種まきから始まる食材との長いつきあいは、きっと料理への説得力が増すはずだ。

シェフである小林さんにとって、一方で農園を営むことは、どんな意味を持つのだろうか。

私たちは季節の移ろいを身に受ける幸せの中で暮らし、旬の素材は自然と身体が求めるようになっていて、丁寧な食事は身体を健康にします
「風土とともに生きるということ」
自家農園の野菜を中心に近隣の魚介、家禽を合わせ
日本の伝統を大切にしながらも、旅をして得た経験や味覚を取り入れ
自然で食べて健康になる料理をご用意しました

季節の移ろいを「幸せ」と言い切っているところに、胸を突かれた。
天候頼み、自然が相手、暑さ・寒さ・荒天、効率とは対極にある世界。

メニューの冒頭に記されていたこの言葉は、厳しい仕打ちもあるはずの自然を、恵みもろとも引き受けている小林さんの到達した、ある種の達観のようにも感じられた。

その達観から生み出された料理が、いま、私の目の前にある。

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villa aida ヴィラ アイーダ
http://villa-aida.jp/
和歌山県岩出市川尻5-5
0736-63-2227
月休(祝日は営業)
シェフ;小林寛司

「専門料理」では小林寛司さんの「農園より -villa aidaの12ヵ月」連載中。
2018年6月号には「涙豆」と「そら豆」が出ています。


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villa aida ヴィラ アイーダ 晩春の緑の宝石」への2件のフィードバック

  1. はじめまして、スペイン在住の料理人です。
    情報が有り余っている時代であるからこそ、自分にとって有益なものを選び出すことが難しくなっているように思います。
    きっとこちらのブログも読んでいる方は沢山いるのだと思いますが、あまりコメントを残している方はいないようなので、感謝を伝えたくコメントをさせていただきます。
    きちんと知識と判断基準をもったガストロノミー中心のブログというのは意外と少ないと思います。これからも楽しみに読ませていただきます。
    ありがとうございます!

  2. 甲斐さま はじめまして。コメントありがとうございます。
    ブログというものはSNSと異なり反応がないものでして…閲覧数も多くないブログですので、励みになります。写真・文章とももう少しレベルアップしていければと思いますので、今後とも、ごひいきに。(このブログ名、ご存知かもですがスペインの「スパ」です^^)

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