澱と葉 津軽で紡ぐ布と夢

そこは店ではなく、店はなかった。

     *    *    *
5月。
青森はまだ春が始まったばかりで、肌寒かった。

乾燥した風と、抜けるような青空と、夏の近さを知らせる5月の光。
東京とは空気が違っていた。
東京だと、早春ならもっと光が弱いし、この光の強さなら暖かさを通り越して暑いはずなのだ。

場所は青森県北津軽郡鶴田町。
住宅地にある、築40~50年くらいのふつうの一軒家。
看板は何もなかったが、番地は間違いない。
ベルを鳴らすと、川口潤也さんが出迎えてくれた。
玄関で靴を脱ぐ。 初対面なのに、旅の途中で知り合いの家にお邪魔するような、そんな感じ。

ここは店ではない。
川口さんのパートナーであるリネン作家、岡詩子(うたこ)さんのアトリエだ。
キッチンも、おそらく一般民家のもの、そのまま。
ダイニングテーブルが素敵だった。古材を貼り合わせた大きなテーブル。
どっしりとした木製の食器棚もアンティーク。元の持ち主は小学校か中学校なのだろう、クラス名のようなものが書かれている。
初訪問なのに親しさがある。この家の飾らないたたずまいと、家や家具に積もった時間がそうさせるのだろう。

『澱と葉』は店舗、メニュー、営業時間という形を持たない。

澱と葉のSNSにコンタクトしたゲストが、事前にコース料金を支払うことによって契約が成立する。
そういうと、会員制などの、一部のスノッブなゲストのみに開かれた秘密の会場での豪奢な料理…という想像もしてしまうが、実際のところはそんな感じとは対極にある。

クルマで15分も走れば森林があり、30分も走れば鰺ヶ沢漁港や赤石漁港があるような自然に近い場所で提供される、全8皿のコース料理。
いわゆる高級食材はほとんどないし、料理の彩りの美しさも、ここではあまり重要ではないらしい。

料理は山の息吹をそのまま封じ込めたような、野の味。

ないないと書き連ねたが、ここにあるのは、ひとつ。
川口さんが作り上げる強固な世界観だ。

【風を感じる】(以下、【 】内は川口さんがつけた料理の名前)
つぶ貝 唐松新芽

いそつぶ貝に唐松の新芽。
貝のうま味だけ、味付けはぎりぎり、そのうま味とわずかな塩味に、カラマツの新芽の爽やかな苦さが絡む。
何だろうこれは。
この極限までそぎ落とされた要素で、遅く来た青森の早春の香りが手渡される。
川口さん曰く、貝は数種類合わせる予定だったというが、何度か試作して、やはり1種類だけの方が良いと思ったのだという。
この料理、日本料理的というか、茶懐石のひと品に入れてもいいか。
それにしては食材が能弁すぎる。

【地を踏みしめる】
こしあぶら、ブナの葉、スミレ、カタクリ、鬼胡桃、カレイ卵巣、花わさび

山菜の女王こしあぶらをはじめ、この時期最盛期の山菜。
この時期の山菜は、どれも風味が異なり、得難い味わいだ。
苦いもの、辛みがあるもの。香りがどれも強い。そこに胡桃とカレイの卵巣のコクが加わる。
野菜ならサラダなのだろうが、すべて山菜だと、違うものとして感じられる。

【迎えてくれる】
烏骨鶏卵、キャベツ、朴葉新芽

焦げたキャベツの上に、温泉卵と茶色いソースがかかっている。
旬の春キャベツに、その春キャベツを煮詰めたソース。
地味な見た目という印象が、口に入れた途端くつがえった。
キャベツの甘さと焦げたキャベツのほろ苦さ、その上に卵のもったりした食感とうま味が載る。 キャベツにキャベツをソースにするという発想。上に2枚だけ載せられた朴葉新芽の香りが効いている。
このセンス!
食べていくうちに、眼の解像度がクリアになっていくようだった。味と香りのバランスのせいだ。

自分が料理人でなくてよかったと思った。
私が料理人だったら、逆立ちしても考えつかないこのセンスに、打ちのめされていただろう。

【人が調える自然】
虎杖新芽、ヒラメ、昆布

ヒラメの昆布締めと虎杖だけの皿。シンプル。
ヒラメの下茹でには花うどの葉を使っているそうで、ヒラメから何か良い香りがすると思ったら、そのうどの香りだった。
山菜を使うと、料理の印象がずいぶん変わる。
地のものをそのまま食べているような感じがする。

【外を見る】

しじみ、山芋、味噌
素揚げした山芋に、しじみの味噌が載っている。
味噌の香りが強く立つ。
しじみは十三湖のしじみ。サクラシメジを漬け込んだ味噌で煮ているという。かすかに杏仁の香りがする。

川口さんは、料理のときは声もかけられないほどに張り詰めた雰囲気を出していた。
ちなみに、原則撮影禁止だ。気難しいとか、写真を撮られたくないというようなことではなく、撮影で遮られることで料理のポテンシャルが保てないかもしれないと考えている感じだ。

コースの最初に、まず3杯のお茶を淹れてもらう行程がある。
硬い表情の川口さんが、真剣な手つきで淹れてくれるうま味と香りの強い静岡産の「築地山峡(やまかい)」。
これから始まるディナーが無事に終わるようにという、料理の世界に入って行く儀式のようにも感じられる。

実はこれは、ゲストにとってそうである以上に、川口さんにとって重要な儀式であるという。
いわゆる「ルーティン」。

「以前は、最初の1杯は手が震えるほど緊張してました」と川口さんは笑う。
毎回、こうやってコースの初めに3杯のお茶を淹れるあいだに、心が静まり、料理に向かう態勢になれるのだそうだ。

その考えにはとても納得がいく。
お茶というのは、飲む側だけでなく、淹れる側の心を鎮める作用もあるのだ。

新北欧料理との共通性

『澱と葉』で用いられる食材は、ほとんどが近隣の山から川口さん自身が採取したものだ。
ほとんどが山菜で野菜はあまりない。魚介類が少々。
禅宗の「葷酒(くんしゅ)山門に入(い)るを許さず」ではないが、味の強いものを排した料理には、おのずから深い精神性を感じさせる。

川口さんの料理は、北欧で食べたモダンノルディック料理と似ていた。

津軽に着いたときに、外の空気に感じた感覚と同じだ。
冷たく乾いた青い空は、何度も訪れたデンマークの夏の空気を思い出させた。

たとえば最初のひと品、唐松新芽の料理。
松の新芽といえば、モダンノルディック料理で時どきお目にかかる食材だ。
決して、単純においしいものではない。出たばかりの新芽の柔らかさや軽い苦さから季節を感じるのが主目的の食材だ。その役割は山菜と比較的近いといえる。
料理は食べることによる胃の快楽と違うところにも意義を見出せるんだ、と知った食材のひとつだ。

津軽と北欧の共通性は、食材が少ないこと。
川口さんの料理とモダンノルディック料理との共通点は、食材が乏しい場所で、その乏しい状態の中から料理を紡いでいる点だ。
寒冷地に共通する問題もあるのだろうが、早くから開拓が行われ、農業、酪農、漁業と死角なしの北海道のような例もあり、寒冷地だからといって一概にくくれない。

『澱と葉』は、どういう経緯を経ていまのような営業形態になったのだろうか。

川口さん、修業時代には、都内のイタリアンに勤めていたのだという。
しかし人間関係や労働環境の厳しさに耐え切れず退職、故郷の青森に戻ってきたのだそうだ。
それから青森近辺の数軒の料理店に勤務、いまのような料理を出すスタイルが出来上がっていったのだという。

都内での修業に耐えられなくて…というところに、はっとした。
そういう帰郷は、本人にとっては挫折だったかもしれない。失意が全くなかったということはないだろう。料理すること自体を諦めたとしても、決して不思議ではない。
そういう経緯でも、故郷で、ここでしかできない形で、店を持たずに営業を続けていけるのだ。それも、東京では絶対にかなわない環境で。
この土地でしかできないことをやる。
いまは、こういう料理店のあり方が可能な時代なのだ。

今日の森の風や自分の思いを、料理にのせる

翌日、川口さんがいつも食材採集に行く場所を、いくつか案内してもらった。

「今日もここに来れて、すごい嬉しいです」

クルマで20分ほどの場所に、川口さんがよく訪れる森がある。
昨日の張り詰めたような表情のたたずまいから別人のように、川口さんは弾むような足取りで、お目当ての草木に向かって歩いていく。
町民共有の森で、自家消費用の山菜を摘んでもよいことになっているといい、川口さんも採集OKになっているのだそうだ。

森には、種々雑多な草が生えていた。
私には、いろいろな草がぼうぼうと生えている森にしか見えなかった。
「これはオニシダ、これはフキノトウ、これはシドケ」と、川口さんの説明には迷いがない。
ほとんど毎日ここには来ているのだそうで、どの草も、その個体が前回来た時からどれくらい育ったかのがすべて頭に入っているようだった。川口さんはどの草も必ず口に入れている。同じ種類でも、育った場所や育ち具合で味が変わるのだという。

川口さんの解説を聞きながら、私たちも実際に葉をちぎってその場で口にする。
当たり前だけれどすべて味と香りが違う。同じ草(山菜)でも、どれも個体差があった。

『澱と葉』は、今は毎日営業するほどは予約は入っていないという。
予約が入ったあと、この森に食材調達に来て、そのときの風や自分の思いを料理にのせるのだそうだ。
私たちのコースのメニュータイトルは「旅の途中」。
配られた料理解説には、川口さんが旅をする途中に人々との交流や森との往還で今回の食材を得たことを思わせる、短い文が書かれている。
私たちが旅の途中に『澱と葉』に立ち寄ることを踏まえて、川口さんもコースを作る際に同じ感情を共有してくれたのだろうか。

     *    *    *

「縁の下の力持ちなんです」。

帰り際に、店名『澱と葉』の由来を尋ねた。

「ワインには底に澱が、お茶には底に葉が残るように、
澱や葉はおいしい飲み物の下にあるもの。
おいしい飲み物は、レストランでいえば楽しい時間。
自分たちはそれを支える、澱や葉のようなものでありたいのです」

澱と葉
https://www.instagram.com/oritoha/

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